日本語教育研修
研修の目標
求められる資質・能力と研修内容の関係
本研修の「4つの到達目標」
1.背景理解と配慮
「難民等」の背景について理解し、その思いや抱えている (かもしれない)困難に想像力を働かせながら、必要な配慮について考え、実際の教育/学習支援の活動に具体的な形で取り入れることができる。
2.共感的理解とQOL向上への貢献
「難民等」のその時々のニーズや困りごと、置かれている状況や環境について共感的に理解しようと努め、それらに対して日本語教育/日本語学習支援の立場から適切にアプローチをすることで、「難民等」のQOL(quality of life)の向上に貢献できる。
3.可能性と限界の理解と連携・協力、広い視野からの対応
「難民等」に関わる多くの人々や機関について理解し、日本語教育/日本語学習支援の立場からできること/できないことを整理しつつ、関係者・関係機関と適切につながりながら、広い視野・総合的な視点から「難民等」に対応できる。
4.実際の条件・環境を出発点とした授業やコースの組み立てと修正・調整
「難民等」への日本語教育/日本語学習支援が実施されている様々な環境について理解し、実際に自分が担当者・実施者になった際に、与えられた条件・環境(場所、時間、対象、クラス形態等)の下、「難民等」のその時々のニーズや困りごと、置かれている状況や環境から出発し、授業やコースを組み立て、さらに必要に応じて修正・調整を行いながら授業を実施することができる。
講師および講義内容一覧
講師 | 回 | 講義タイトル | 講義内容 |
---|---|---|---|
人見 泰弘 武蔵大学社会学部 准教授 |
講義A0 | 「難民等」概論 |
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葛西 伶 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所シニア法務アシスタント |
講義A1 | 世界における難民受け入れ |
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鈴木 功 (公財)アジア福祉教育財団 難民事業部 |
講義A2 | 日本の難民等受け入れの経緯と基本的な受け入れ方針・体制 |
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檜山 怜美 特定非営利活動法人なんみんフォーラム 事務局 |
講義A3 | 日本における難民等の現状 |
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鶴木 由美子 認定NPO法人 難民支援協会(JAR) |
講義B1 | 日本における難民等の多様性① |
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田中 美穂子 早稲田大学日本語教育研究センター インストラクター(非常勤) |
講義B2 | 日本における難民等の多様性② |
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伴野 崇生 社会構想大学院大学実務教育研究科 准教授 |
講義B3 | 難民等の異文化受容・適応(ケースメソッド) |
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野山 広 国立国語研究所 日本語教育研究領域 |
講義B4 | 難民への理解を深める 一言語学習者としての側面から一 |
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鵜川 晃 大正大学社会共生学部公共政策学科 教授 |
講義B5 | 難民への理解を深める 一臨床心理学の視点からの理解一 |
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矢崎 理恵 (社福)さぽうと21 学習支援室チーフコーディネーター |
講義C0 | 「難民等に対する日本語教育」概論 |
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小瀧 雅子 (公社)国際日本語普及協会(AJALT) |
講義C1 | 難民等に対する日本語教育(公的な支援を中心に) 2 ⑥ 難民等に対する日本語教育 |
|
矢崎 理恵 (社福)さぽうと21 学習支援室チーフコーディネーター |
講義C2 | 難民等に対する日本語教育(公的な支援以外を中心に) |
|
小川 珠子 首都圏中国帰国者支援・交流センター |
講義C3 | 中国帰国者に対する日本語教育 |
|
石川 美絵子 (社福)日本国際社会事業団 常務理事 |
講義D1 | 難民等の社会参加 |
|
伴野 崇生 社会構想大学院大学実務教育研究科 准教授 |
講義D2 | 難民等のライフステージに合わせたキャリアプランと日本語教育 |
|

受講者の声

私がこの研修を受講した一番大きな理由は、自分の住環境によるものだ。自宅の周りにクルド人と思われる方が非常に多く住んでいて、近所のコンビニや公園、アパートのゴミ置き場には、クルド人の方向けの言語でメニューや注意書きが見られる。早朝や夜遅く、クルド人の男性同士が数人集まって話し込んでいるのをあちこちで見かけるが、日本人住民と交流している様子はない。いつもすぐそばにいるのに、まるで違う世界に生きているかのようだ。「クルド人が100人集まって乱闘騒ぎ」といったニュースが大々的に報道されたことにより、ネット上では、日本人住民の反感が強まってますます溝が深まっているように書かれているが、本当のところはよくわからない。私が見る限り、彼らはただ仕事熱心で、話し合うのが好きな方たち、というだけである。仕事で忙しい男性たちや、活発に遊びまわっている子どもたちはともかく、女性たちは、何とも言えない表情をしている。そもそも、女性たちを見かける機会は、男性たちや子どもたちに比べると圧倒的に少ない。彼女たちは、日々、どんなことを思って、どんな生活しているのか、とても興味がひかれている。
日本語教師になりたての20年以上前、縁あってミャンマーの難民の方たちに関わっていたのだが、当時の私は、難民の何たるかもよく理解しておらず、個人の人間としてもあまりにも未熟で、彼らのことをよくわからないまま、疎遠になってしまった。
現在、私は大学の日本語教員養成に携わっており、授業の一環として学生たちを「さぽうと21」で見学させてもらったりしているが、学生たちに難民の日本語教育について学んでもらう前に、私自身がまず学ぶべきであり、知識として学ぶだけでなく、直接難民の方と関わりたいという気持ちが日々強くなってきている。

2年半前から『さぽうと21』で難民の小中高校生の学習支援をしている。
初めて課外学習に付き添った時のこと。地下鉄で移動中、私はシリア人の女の子2人の間に座って楽しくおしゃべりをしていた。その時電車がゴーッという轟音をたててスピードをあげた。すると2人の顔が突然強張り、「何この音‼」と叫んで、私の腕にすがりついて来たのである。日本人の女の子と全く変わらないように見えた明るくておしゃべりな彼女たちの中に、恐怖の記憶が潜んでいることを目の当たりにし、「何でもないよ」と落ち着かせたものの、実は私自身がショックを受けていた。
それまで4年ほど、日本で働く外国人に日本語を教えていたが、その後も子どもたちから内戦下の話を聞くにつけ、以前と同じように単に日本語を教えるだけでいいのだろうか、もっと難民について知り、過去のトラウマ、家庭や学校の問題を抱えた彼らが、少しでも生きやすくなるように自分に何かできないだろうかと思ったのが、この研修を受講することにしたきっかけである。

2年前、西東京市でロヒンギャ難民のカディザさんの講演を聞いた。カディザさんから、バングラディシュにいたころの話や日本に来てからの話を聞き、ロヒンギャ難民の実際の生活を知ることができた。また、日本に来てから様々な支援を探し、出産と子育てをしながらも夢をあきらめないで学業を続けた話を聞き、こんなにパワフルな人がいるんだと衝撃を受けた。
偶然にも隣町に住んでいるカディザさんの話を聞いて、遠い世界の人だと思っていたロヒンギャの人たちのことをとても身近に感じるようになった。その後、「さぽうと21」がロヒンギャの子どもたちへの学習支援のボランティアを募集していると知り、すぐに参加した。ロヒンギャの子どもたちは日本生まれなので、日本語にそれほど困っていないようだが、ご両親などは苦労しているのではと思った。一方で、難民等の背景や状況などをほとんど知らなかったため、自分が役に立つことができるのかという不安もあった。「難民等」に日本語を教える上で必要な知識や心構えを得るために受講した。

もともと異文化に関心があり、大学で文化人類学を専攻し、エスニシティや異文化コミュニケーションについて学んだ。当時はアラブ文化に関心があり、そこから次第にパレスチナに注意を引かれていった。私が初めて知った難民はパレスチナ難民だった。卒業後、異文化の人々に直接関わる仕事として日本語教師になった。アラブ地域で教える夢はかなわず、アメリカの大学で職を得た。そこでメンターと言える人に出会い、彼の影響でヨーロッパに関心を持つようになった。以来アメリカ-日本-イギリス-日本で大学生・留学生・社会人を中心に日本語を教えてきた。アメリカ・イギリスでは多文化社会の良さと難しさを経験した。幸い、私は周囲の環境と人に恵まれ、両国でかけがえのない時間を過ごした。その後、日本で家庭を持ったが、元アメリカ人で今は日本籍の夫も、見かけは7割外国人で中身は10割日本人の息子たちも、差別を感じることなく平和に暮らしている(と思う)。
このような歩みの中でエスニシティ、特に社会の少数派のエスニシティはずっと心に引っかかっている。ここ2~3年、難民的背景の人や技能実習生の報道に接するにつれ、複雑な思いが増し、日本語教師として支援に関われないかと思うようになった。私自身と家族が外国で温かく受け入れてもらった恩返しでもある。

ニュースや報道で難民問題について聞かない日がないほどですが、私の周りには難民と呼ばれる人がいないため、どこか遠くの出来事のように思っていました。外国につながる子供への日本語指導を通して、難民もこの児童たちと同じなのではないかと思うようになり、難民への日本語指導に興味を持ちました。
研修を受ける前は、難民とは国を追われた可哀想な人たちだと感じていました。難民認定は難しいと思うけれど、半分くらいの人は認定され、生活支援も受け、日本で静かに暮らせているのだろうとも思いました。日本で難民申請している人は、何か日本とかかわりがある人で、日本を選んできて売るのだとも思いましたが、研修を受けて実際は全く違うことを学びました。

この研修を受講することにしたのは、文化庁の現職日本語教師研修プログラム普及事業の中で、生活者、子供、就労者、技能人材でも無い「「難民等」に対する日本語教師(初級)」の項目があり、「難民等」が別枠になっていることに興味を引かれたからだ。また、私は、さぽうと21で学習支援活動を細々と続けているが、活動の度に、私が補わなければならない事があるのではと常に感じていた。本研修は、その学習支援活動の為のインプットとなり、アウトプットの一助になると思えたため、受講することにした。
更に、近年、世の中が大きく変化し、「難民等」を生み出す背景も多様化し、日本の「難民等」に関する法律や条例も変化している。それらの背景および変化を理解した上で、「難民等」の学びを支援したいと思ったからだ。研修受講前は「難民等」について、日本は難民認定数が少ないこと、さぽうと21の活動をとおして、「ミャンマー」の民主化と軍事政権のイメージを持っていた。

この研修を受講した理由は、困っている方に日本語を教えたいと常日頃思っていたからである。50を過ぎて、残りの日本語教師人生を必要としているマイノリティーの方々に教えたい。そのための知識を学びたいと思っていたからだ。こちらの研修情報がたまたま勤務先の教師用掲示板に書き込みがあり、すぐに申し込んだ次第である。
また、どうして「難民」かということだが、ニュースで耳にしたり新聞で読んだりして、ただ単に「きっと困っているんだろう」と思っていた。そのような少し軽い気持ちで受講した。

私がこの講座を受講しようと考えた直接のきっかけは、ウクライナ避難民の日本語教育に携わったからだ。私が勤務する日本語学校で、7名もの避難民の方を受け入れた。私はこれまで難民等の日本語教育は担当したことがなく、受け入れを決めた経営者も初めてのことだった。経営者は楽観的だったが、現実はやはり留学生と同じように物事が進まなかった。日本語学校での受け入れを避難民の方も理解して入っているため、避難できたことに感謝する言葉ばかりが最初に聞かれた。しかし、なかなか学習が進まず、避難が長引く中で、これまでのキャリアを日本では活かすこともできず、今後の生活設計に悩む人も出てきた。
そんなとき、どうすることもできず、ただ話を聞き、涙する彼らを前に自分はどうすることもできなかった。そのような中で、かれらは2年間の日本語学校での学習期間を終え、卒業していった。私は何をするべきだったのか、何ができたのかを知りたくて、この講座を受講した。そして、彼らにできなかった何かをほかの方への支援として実現できればと考えている。
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